妥協しない生き方を求め全てをゼロに。不動投資会社の役員を辞める【アウトローストーリー第6章】

こんにちは、苫米地式コーチング認定コーチの坂上崇大(さかのうえたかひろ)です。
こちらのページは、僕の「アウトロー人生」を紹介する第6章です。アウトローストーリーの一覧はこちらからご覧になれます。
第5章でお伝えしましたが、高校時代は不良の「チーマー」だった僕も様々な経緯を経て、30代で海外不動産投資会社の役員になるという社会的成功を手に入れます。
ただ、僕にとっては、役員と言うポジションよりも10代の頃から夢見ていた海外で、自分の力を発揮できたことが何よりも充足感を感じさせるものでした。
ただ、この満たされた時間も長くは続かず、会社の経営状態の変化と共に、また僕は新たなステージに進むための決断をすることになります。
今回のストーリーを読み進める中で、これからのリーダーに必要な「自分の想いを突き詰めること」「全てを捨てる勇気」をキャッチしていただければと思います。
そして、コーチ選びに重要な、コーチの観察をこのストーリーからしていただければと思います。観察方法は、コーチの選び方の中でお話ししています。
目次
- 1 37歳、新たなプロジェクトに邁進する
- 2 アメリカに突如現れたメッセンジャー
- 3 メッセンジャー再びの来訪、呼び覚まされる過去の想い
- 4 世の中のためになることがしたい
- 5 38歳、アミの世界へ向けて何ができるかを模索
- 6 まずはメッセンジャーが教えてくれた形而上学の世界の学ぶ
- 7 社会を変えるには個人が自由になる必要があると知る
- 8 38歳、不動産投資会社の仕事に疑問を感じ始める
- 9 39歳、投資会社の役員を辞める
- 10 サイエンスを求め、さらに模索する日々
- 11 親友から「お前と同じこと言ってる博士がいるよ」と言われ苫米地博士を知る
- 12 自分の心に従い、苫米地博士から直接コーチングを学ぶ
- 13 40歳、新たなスタート
- 14 【終わりに】 自分の想いに忠実であれ
37歳、新たなプロジェクトに邁進する
さて、今回のアウトローストーリーは39歳で僕がいろいろなものを手放すまでのストーリーなのですが、約1年という時間の中で、不思議な出会いやパラダイムシフトと呼べる意識の変化が起こっていきます。
順を追ってご紹介していきましょう。
不動産投資会社のプロジェクトに関わってから4年以上が経ったころ、僕は「4年も経ったことだし、そろそろ独立して海外不動産の仕事を本格的に始めようか」と独立を意識し始めます。
ただ、そんなことを考えていたタイミングに、会社から「新規のアメリカ不動産のプロジェクトをやらないか」と声がかかります。
独立を考えていたので、その誘いに少し戸惑いましたが、アメリカは昔から思い入れがある場所でしたし、アメリカ不動産にも興味があり、さらにはアメリカ支社長としてプロジェクトを一任してくれるとのことだったので、「それなら個人で独立するのと同じ感覚でできる」と思い、引き受けることにしました。
37歳の年、これまでのマレーシアの副社長というポジションだけでなく、アメリカの支社長としてもあらたに仕事スタートをさせ、ビジネスにさらに集中していきます。
アメリカに突如現れたメッセンジャー
新たなアメリカのプロジェクトに邁進していた僕の前に、ある一人の女性が現れます。
彼女は、アメリカ不動産の視察ツアーに参加していた日本人の女性なのですが、僕が手掛けていたプロダクトローンチの動画を見て「伝えたいメッセージがある」と言ってきたのです。
この女性はヒーリングなどを仕事にしている女性だったのですが、この先たびたび、僕に重要なメッセージを届け、僕の中で眠っていた想いを呼び覚ませるきっかけになる重要人物になります。
ですが、初対面のこの時はそこまで深い話はせず、「ヒーリングをしてくれる」というので、僕は「なんのこっちゃよく分からないな」と思いながらも彼女にヒーリングをしてもらったりしていました。
先ほど「なんのこっちゃよく分からないな」と書きましたが、僕自身は「目に見えないエネルギー」などに全く関心や興味がないわけではありませんでした。
小学校1年生の頃から空手を習い始め「体と心(精神)のつながり」にも興味を持ち、「自分との対話」をしたり、小学生時代のボーイスカウトや15歳から始めたサーフィンを通して、自然との関わりを持つ中、自然のエネルギーというものを感じたりもしていました。
ただ、実際にヒーリングを行なったり、スピリチュアルの世界に造詣が深い人に出会ったのは、この時が初めてだったので「本当にそういう人がいるんだな」と思ったのでした。
メッセンジャー再びの来訪、呼び覚まされる過去の想い
さて、先ほどのメッセンジャーの女性とは半年後に今度はマレーシアで出会うことになります。
彼女がマレーシアで仕事をするための滞在するアパートメントを紹介したのですが、今回は前回のアメリカの時よりも「スピリチュアル」について語りあう機会がありました。
ハワイの伝統的な潜在意識の浄化方法「ホ・ポノポノ」やダリル・アカンの著書「バシャール」、船井幸雄氏のスピリチュアルな本について話をし、「変化してる時代だよね」と言うようなことを話したのでした。
そして、先ほど挙げなかったのですが、僕がコーチになった理由にもかかわる「アミ小さな世界」の話もして、アミの世界の秘密や形而上学(けいじじょうがく)と呼ばれる目に見えない世界の学問についても語り合いました。
アウトロ―ストーリー第5章の中でお話ししましたが、鎌倉で不動産会社に勤め始めた29歳の頃に「アミ小さな宇宙人」を読み、僕は不思議な感覚に陥った経験がありました。
どんな感覚かと言えば、「アミ小さな宇宙人」に描かれた世界を「すでに知っている」「自分はその世界から来たんだ」というような、なぜだか分からない「知っている」という感覚です。
「アミ小さな宇宙人」を読んだ当時は、その想いは心の奥に刻まれるだけだったのですが、彼女と出会い、僕の中で「アミの世界」がだんだんと表面化して行くのを感じたのでした。
世の中のためになることがしたい
マレーシアから再びアメリカに戻った僕は、同じようなビジョンをもつメッセンジャーと話したこともあり、前々からあった「もっと世の中のためになることがしたい」という思いもだんだん出てくるようになりました。
そして、「アミ小さな宇宙人」に描かれた、科学のレベルと愛のレベルが数値化され、「人々が愛のレベルを高めることで創り上げられる、争いがない平和な世界」を体現するにはどうすればいいかということ本気で考えるようになっていきました。
それと同時に、アメリアのプロジェクトは自分にとってチャレンジだったので、さらにプロジェクトを前に進めるためにもビザを申請するために日本に一度戻ります。
38歳、アミの世界へ向けて何ができるかを模索
日本に戻った時は、3ヵ月くらいでビザが発行されると考えていたのですが、結論を先に行ってしまうと、結局は7ヵ月待ってもビザが下りないという結果になってしまいます。
この期間に僕が何をしていたかと言うと、日本からアメリカの不動産投資のプロジェクトの仕事をしたり、自分の中で無視することができなくなった「アミ小さな宇宙人」に描かれた世界を体現するために、自分に何ができるかを探す自己投資の日々を送っていました。
これまでずっと海外で生活していたので、日本で開催されるセミナーに参加するのは久しぶりだったので、興味を持ったセミナーにいろいろ参加しました。
まずはメッセンジャーが教えてくれた形而上学の世界の学ぶ
まず最初に、メッセンジャーの女性から教えてもらった、目に見えない世界の学問「形而上学(けいじじょうがく)」を学びます。
ハリーポッターの映画に出てくる魔法学校のモデルになった現代の魔法学校が日本にあり、そこで「カバラ」や「錬金術」といった魔術についての学びを深め、エネルギーレベルで個人の能力を開花させる「ヒーリング手技」を習得します。
ちなみに、形而上学は古代より王侯貴族や芸術家、科学者など大きな影響力を持つ人々だけに特別に明かされてきた密教的な学問なのですが、僕が学んだ現代の魔法学校は、一般向けに形而上学を体系的に教えている場所でした。
社会を変えるには個人が自由になる必要があると知る
形而上学の学びの中で「アミ小さな宇宙人」に描かれた世界が何だったのかが明確になっていきました。
そして、形而上学の学びを進める中で、次のことを学びます。
1.人の進化と成長には「右脳(アート)と左脳(サイエンス)のバランス」をとることが重要なこと
2.「右脳(アート)と左脳(サイエンス)の交わる部分に創造(クリエーション)が起こること
3.社会を変えるには個人が自由になる必要があること
形而上学を学ぶ中で、アミの世界を体現するには、「個人の自由」が絶対条件であることが腑に落ちて行きました。
そして、これまで僕の中にあった「社会に影響を与えられる人物にならなくてはいけない」とか「社会に影響をあたえられる組織に属さなくてはいけない」と言うような思いがなくなっていきます。
アートとサイエンスの重要性を知った僕の中で、「アートは、ヒーリングや氣功、音楽や絵画、自然の力などのはっきりとらえられないけど影響を与える「目に見えない力」と言う定義が生まれます。
あとはサイエンスが何になるかを探そうと思うようになったのでした。
38歳、不動産投資会社の仕事に疑問を感じ始める
さて、日本でいろいろとアミの世界を体現する方法を模索をしていた僕でしたが、それと同時に海外不動産投資会社の仕事も行っていました。
ただ、この仕事の状況が時と共に変わっていったのです。
日本に戻る前から、不動産投資会社のグループ会社の経営がだんだんと厳しくなっているという情報は知っていたのですが、遂に僕が関わっていたアメリカ部門でもその影響が避けられず、仕事に窮屈さを感じるようになります。
さらに、会社の経営状態の変化とともに、僕が共感していた「良いものをお客さまに提供する」というスタンスも「お金の為にいろんなものを作って売る」という会社の利益だけがメインに変わってしまったのです。
いろいろな学びも深めていたので、お金だけを一生懸命追い求めている会社の姿勢に、より疑問を持つようになった僕は、ここが本当に自分のいるべき場所なのか考えるようになって行ったのでした。
39歳、投資会社の役員を辞める
さて、すでにビザが最終的には下りなかったとお伝えしましたが、結局日本に帰国した7ヵ月後もビザが下りず、アメリカのプロジェクトを進めることができなくなってしまいます。
もともとアメリカのプロジェクトが始まる前に独立しようと考えていたところに、プロジェクトを一任してもらえるということで、「それなら自分でやるのと同じだ」と思い引き受けましたが、これ以上進められないなら、この会社での僕の仕事は一区切りつけるべきだと思い、辞めることを決意します。
会社を辞める決定的な理由は、アメリカのプロジェクトを続けられないことでしたが、本来3か月くらいで降りるはずのビザが7ヵ月たっても降りないというのは、何か違う道に進めというメッセージだとも感じていました。
なので、今が僕の人生で「アミの世界を体現する」「人の役に立つ仕事をする」という思いに集中するときなのだとも思ったのでした。
サイエンスを求め、さらに模索する日々
さて、会社を辞めた僕は、アミの世界を体現するために必要なもうひとつのツール「サイエンス」を探し続けていきます。
サイエンスを探す中、まず「NLP」という人間心理とコミュニケーションに関する学問である「Neuro Linguistic Programing(神経言語プログラミング)」に出会います。
あるセミナーでNLPを伝えていた方が「世界平和」をテーマにしていたので興味を持ち、学んだのですが、残念ながら腑に落ちる真髄がないと感じられ、プラクティショナーを習得して学びを終えます。
その後、「苫米地式コーチング」を知る前に、コーチングを別のところで学びますが、これもただ単に目標を達成させることをメインにしていたので、僕が求めてるものではないと思い、さらに模索が続きます。
親友から「お前と同じこと言ってる博士がいるよ」と言われ苫米地博士を知る
「アミの世界」を体現すると言う思いを実現するために、いろいろ模索する中で「これだ!」と思えるものがなかなか見つからなかった時、10代からの親友に自分が体現したい「アミの世界」にいついて熱く語った日がありました。
その話を聞いた親友から「お前と同じことを言ってる博士がいるよ」と言われ、39歳にて初めて「苫米地博士」の存在を知ったのでした。
苫米地博士の存在を知った僕は、まずは博士の著書をあれこれ読みあさりました。
その中で博士が伝えてるメッセージに自分がこれまで思い描いていたものと重なる部分が多く、苫米地博士が提唱するコーチングは自分が目指すものにマッチすると確信し、「苫米地式コーチング」を学ぼうと決意します。
ただ、苫米地博士から直接学ぶと600万円以上かかるので、その額に最初は迷い、すぐに博士に依頼をすることはしませんでした。
この頃の僕には「お金のブロック」があったのですね。
「600万円も払えば、いい車が買えるな」なんて考えていました。
自分の心に従い、苫米地博士から直接コーチングを学ぶ
苫米地式コーチングを苫米地博士から直接学ぶと600万円以上、苫米地式コーチングのコーチから学ぶと180万円。
この金額の差に最初は悶々と悩みますが、自分の心の想いは「直接博士から学びたい」というものだったので、決意して博士にコンタクトを取ります。
苫米地博士から直接コーチングを学ぶ前は、実現したいことは明確にあるのに、いろいろトライしてもうまく前に進んでいかないことにモヤモヤしていました。
ですが、苫米地博士からコーチングを学んたあとは、すべてがクリアになりタガが外れたかのように滞っていた現実が動き出したのです。
苫米地式コーチングの1番のポイントは、「マインド(脳と心)」の正しい使い方を習得することなのですが、これができるようになると、自分が心の底から望むものがより明確になり、頭の中がすっきり整理できるだけでなく、無駄なく自分の想いにそってまっすぐに進むことができるようになります。
しかも、同時にいくつものことを思考しながら進行できるようになるので、達成のスピードも早まります。
「マインド(脳と心)」の正しい使い方が習得できると、見えない力が加わっているとしか思えないくらい現実が動き出すのです。
40歳、新たなスタート
さて、苫米地式コーチングを知ったころの僕は、苫米地式コーチングが僕にとってのサイエンスになると考えていましたが、苫米地式コーチングを習得してみるとアートとサイエンスの両方が含まれていたと知ります。
苫米地式コーチングを習得することで、あとはアミの世界を体現するために、多くの人に「マインド(脳と心)」の正しい使い方を伝え、人生を謳歌してもらうことがやるべきこととなりました。
「1度きりの人生でアミの世界を絶対に体現する」これこそが今の僕が心のそこから望む目標なのです。
ちなみに、海外不動産投資会社の役員を辞めた時には、「不動産の仕事はアミの世界に通じるものではない」と感じていましたが、苫米地式コーチングを習得することでこの想いもまた大きく変わります。
このことについては、「コーチングセッションを受けると何が変わるのか」で話しているので、後程読んでみてください。
【終わりに】 自分の想いに忠実であれ
さて、6回に渡って僕のアウトローな生きざまを洗いざらいお伝えしてきましたが、幼少期から今まで僕の中に一貫してあったものは「自分の想いに忠実であること」です。
「こうなりたい」「こうありたい」を真剣に考え、そこに向かってすべてを選択してきました。
もちろん、年を重ねるにつてれ、他人や社会的常識に惑わされることもありましたが、「自分の心」にそむいた時には、人生が前に進んでいかないことを身をもって体験してきました。
ただ、苫米地式コーチングを習得する前は、目標に対して情熱を注ぎ、達成はするけれども、そこには無駄な力がかかりすぎていたり、本当は同時に手に入れられるものを邪魔なものとして除外するといった、アンバランスさがありました。
ですが、苫米地式コーチングで高い視野と広い思考という、「抽象度」を高くした考え方ができるようになったことで、一見すると相反するように思えることも、同じ一つの目標に繋がる要素だと理解でき、何かをあきらめることなく、幅広くいろいろなことを実現させていくことができるようになったのです。
また、バランスホイールという、人生を仕事や家族、ファイナンスや社会貢献など、いろんな側面で同時に思考する考え方を取り入れることで、人生に偏りがないバランスのいい思考と行動ができるようになりました。
これらのことをこれからの時代をけん引していくリーダーたちが習得し、実践していけば子どもたちに残せる未来は明るく、とても素晴らしいものになると僕は思っています。
あなたがこの想いに共感し、本気で自分の人生のリーダーとして、心の底から望むものを体現したいと思った時に、お会いできると嬉しいです。
また、僕のアウトローストーリーが、あなたが人生を真剣に考えるきっかけになったなら、とてもうれしく思います。
苫米地式コーチング 認定コーチ 坂上崇大(さかのうえ たかひろ)