日本と海外を行き来しながら自分を探した20代【アウトローストーリー第4章】

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こんにちは、苫米地式コーチング認定コーチの坂上崇大(さかのうえたかひろ)です。

こちらのページは、僕の「アウトロー人生」を紹介する第4章です。アウトローストーリーの一覧はこちらからご覧になれます。

プロフィールで紹介したように、神奈川県いちの進学高校からチーマーという不良の世界に飛び込んだ経験をもち、その後もアウトロー街道まっしぐらの僕の20代のストーリーを紹介します。

第3章では、日本とアメリカを行き来しながら自分探しをしていたころの20代前半から、30代を目前に仕事に対する意識が変わり思い悩んだ29歳までのストーリーを紹介します。

コーチが持つバックグラウンドも、あなたがコーチを選ぶうえで大事な要素です。

ストーリーを読み進める中で、あなたにとって僕が選ぶべきコーチかどうかじっくり観察してください。ちなみに観察方法は、コーチの選び方の中で紹介しています。

真面目一本で人生を歩まれてきた方には、僕のアウトローストーリから「こんな生き方もあるんだ」ということを知ってもらえたらと思っています。

日本とアメリカを行き来する20代前半

アウトローストーリー第3章でお話ししたように、帰らないつもりでアメリカに渡った僕でしたが、ビザの3ヵ月の壁は越えられず、アメリカで不法滞在か帰国かを迷った結果、一度日本に帰国します。

日本に戻った僕は、日本で資金を稼いではアメリカに渡り、アメリカでも生活費を稼ぎながら、「そのとき1番夢中になれることをする」という生活を数年繰り返していました。

おそらく、僕と同年代の日本人男性であれば、20代前半から「いい仕事につきたい」「キャリアを積もう」と考えると思うのですが、この頃の僕は一切そういうことを考えることはなく、ただひたすらに自分の情熱にしたがってその瞬間、瞬間を楽しんでいたのでした。

好きなことに本気で挑戦している友人が眩しくて、羨ましかった

ただ、この頃の僕にも悩みはありました。

それは、「心の底から自分が望んでいる好きなこと、得意なことが何なのか明確になっていないこと」です。

もちろん、興味の向くまま、情熱が向くまま、いろいろなことに挑戦はしていましたが、「これが俺の生きる道だ!」というものが明確化できていなかったのです。

なぜ、それが僕の悩みだったかと言えば、当時、10代時からつき合いのある親友が「自分は好きな音楽で生きていくんだ」と腹を決め、都内にひとり暮らしをしながら、ミュージシャンとして頑張って進んでいく姿を見てとても眩しく感じていたからでした。

彼の「俺はこれで生きていく!」と腹を据えて、本当に好きなことを突き詰めながら生活している姿がすごく羨ましかったのです。

彼のその生きざまを見て、「俺の好きなことはなんだろ、俺が得意なことはなんだろ」と今まで以上に真剣に考えるようになったのでした。

興味がアメリカから世界に移り、25歳からアジア・ヨーロッパへ

さて、「これが俺の生きる道だ!」というものを真剣に見つけたいと思いながら、日本とアメリカを行き来していた僕でしたが、アメリカにこだわっていた僕の意識は、次第にアジアやヨーロッパへも向くようになります。

25歳の頃は、仕事をしてお金貯めては、イギリス、ルーマニア、中国、韓国などを少しずつ回り、「自分が何をしたいのか」「どんなチャンスがあるのか」「どんな国があるのか」を感じながら過ごしていました。

世界を知るたびに自分の価値観が常に書き換えられ、地球と言うパーツがどんどん埋まっていく感覚があり、「もっといろんな世界を見たい」と言う気持ちが強まりました。

そして、「自分も世界を舞台に好きな仕事がしたい」という思いがさらに強くなっていきます。

それと同時に、いろんな国を知るたびに初めてアメリカに渡った時に僕の中に生まれた「地球で生きてるひとり」というスタンスがさらにどんどん強くなり、そのスタンスでいる自分が「うれしい!」「楽っ!」という気持ちが強くなっていきました。

25歳、30代を意識して仕事選びに悶々とした2年

さて、20代前半はキャリアなど追い求めていなかった僕でしたが、さすがに30代をリアルに感じる20代後半突入すると、定職を見つけて仕事をする未来の自分の姿を意識するようになります。

25歳の僕は、次はオーストラリアへ行こうと思い、資金を貯めるために日本で仕事をしていました。

そんな中、「海が好き」という想いと、小・中学時代に参加していた「ボーイスカウト」やアルバイトで経験した「レスキュー」や「ライフガード」の仕事を「カッコいい」と感じるていたので、海外でダイビングインストラクターになることを考え始めたのでした。

ただ、ダイビングインストラクターになるという選択に対し、少し迷いや妥協があったために2年間、悶々とします。

25歳、仕事に対する迷い

先ほどお伝えしたように「海が好き」と言う想いと自分が「カッコいい」と憧れるものが重なって、スキューバーダインビングのインストラクターを目指そうと思ったのも事実ですが、海外に行くためのビザがとれて、海で好きなことを仕事にすることを考えた時に、ダイビングインストラクターしか思いつかなかったという背景もありました。

そして、スキューバダイビングのインストラクターは、そんなに稼げないということもこの頃の僕には迷いを生じさせる原因になっていたのでした。

なぜなら、30歳を前にして、20代前半とは違い、同世代の友人たちが仕事でキャリアを積んでいることや、社会的な常識にある「稼げない仕事でいいのか」ということが頭をよぎるようになったからです。

また、今までと違い、何年か先の自分の姿を意識するようになって、将来的にどうやって稼いでいくんだろうという不安も感じるようになっていたのです。

こんな不安を感じるくらいなら「日本でもっとちゃんと稼げる仕事をした方がいいのかな」と思いながらも、海外で仕事をする夢は捨てられず、なんだかんだ2年位悶々としていたのでした。

この2年は、僕の人生で1番、自分の心にそむいて生きていた2年間でしたね。

アウトローも人生でもたもたすることもあるのです。(笑)

27歳、迷いを断ち切りオーストラリアへ

さて、日本で資金を貯め、オーストラリアに行く準備はすでにできていたにもかかわらず、オーストラリアに行く決意ができず2年間悶々としていた僕は、27歳の時、ついに迷いを断ち切り、オーストラリアへ旅立ちます。

キャリアや将来の生活より、僕の心の底から湧き上がる「海外で活躍したい」と言う想いが、勝ったのでした。

日本で悶々としていたときは、人生が前に進まない感じがしていたのですが、オーストラリアに行ってからは、自分の人生が次に展開していくのを感じました。

この2年の経験から、やはり「1番自分の心が求めてるものをやらない限り、人生は前に進まない!」と、あらためて確信したのでした。

この時の経験が、僕の成功パターンとしてインプットされ、さらに自分の想いを大切にするようになっていきました。

オーストラリアのダイビングインストラクター養成スクールへ

さて、ここで少しオーストラリアでの生活についてお話ししましょう。

当時の僕は、アマチュアのダイビング資格しか持っていなかったので、プロのダイビングインストラクターになるために、3ヵ月ぐらいオーストラリアの養成スクールでトレーニングを受ける必要がありました。

僕が参加したスクールは、ダイビングショップとアコモデーション(宿)の運営もしていて、養成スクールに通うインストラクター見習いたちは、トレーニング以外の時間はショップで働き、アコモデーション(宿)に部屋を借りて家賃を払いながら生活をします。

ちなみに、インストラクターの養成コースは、イングリッシュとジャパニーズの2コースがあり、僕はイングリッシュのコースに参加していました。

トレーニングはイングリッシュコースのメンバーと行いますが、ショップでの仕事やアコモデーション(宿)での生活は、どちらのコースも一緒になります。

当時一緒に学んでいたメンバーは20人くらいで、そのうち日本人10人くらいでしたね。

生き残るためのサバイブ術

さて、インストラクター見習いの間は、ショップで働き、家賃を払ってアコモデーション(宿)で生活するのですが、この家賃というものがなかなかの負担になる。

家賃をどうにかできないものかと考えていたときに、欧米系のインストラクター見習いには、アコモデーションでレセプションの仕事をすれば、家賃がタダになるというシステムが用意されていることを知ります。

なぜ欧米系のインストラクター見習いにだけ、そんなシステムがあったのかと言えば「日本人は引っ込み思案だし、言葉の壁もあるから日本人はやらないでしょ」という暗黙の認識があったからのようでした。

10代の頃から「日本人だってカッコいんだぜ」ってことを海外の人たちに伝えたかった当時の僕は、すかさずこのレセプションの仕事を取りに行動を起します。

まぁ、家賃がタダというのはかなりの重要事項だったので、人生をサバイブするためにすかさず行動を起こしたと言うのが本音ですが。

 

さて、「日本人」という偏見を乗り越え、無事にレセプションの仕事を得た僕は、レセプションの仕事の人員が必要な時には、他の日本人メンバーにも声をかけたりと、日本人メンバーにも同じような機会が与えられるようにと働きかけなどもしていました。

語学の壁に挫折しそうにもなる

さて、先ほど僕はイングリッシュコースでトレーニングを受けていたとお話ししましたが、実はイングリッシュコースへの参加は、トレーニングが進むにつれて、僕にとってのチャレンジへと変わっていきます。

なぜなら、日常英語はこれまでの海外生活でばっちりでしたが、トレーニングが進むにつれて、より広いジャンルで深い知識が必要になり、難しい言葉や今まで触れたことがなかった言葉にも出会うことになったのです。

特に、トレーニングの段階を経てゆき、インストラクターになる直前は、覚えることが多く、専門的な言葉が多かったので、心がぽっきり折れそうになることが何度もありました。

あまりにも難しかったので、トレーニングとショップやアコモデーション(宿)での仕事がない時には、図書館に籠り、分厚い専門書とにらめっこしたものです。

ただ、挫折することなく最後までイングリッシュコースでインストラクター資格を取得できたのには、「世界中の人たちに教えたい」という目標があったからでした。

やはり、明確な目標と言うのは人のパワーを何倍にも増幅させてくれるものです。

楽しいだけでは終わらなかったダイビングインストラクターの現実

さて、トレーニング期間を終えて、プロのスキューバーダイビングのインストラクターになってからの生活は、とても楽しいものでした。

「大好きな海」「大好きな海外」この2つを手に入れて、とても充実した日々を過ごしていました。

ただ、ダイビングの道を究めるという強い思いを持ってオーストラリアに来た僕だったのですが、ダイビングのインストラクターを続ける中で「ダイビングの仕事は体に負荷がかかるので長くは続けられない」と思うようになります。

もちろん、年を重ねてもダイビングインストラクターを続ける方もいますが、当時の僕は、年を重ねた時に自分の体に負担をかけてまで、この仕事を続けたいとは思わなかったのです。

これをきっかけに、改めて自分の活躍の場を考えるようになったのでした。

さらに人生を前にすすめるために日本に戻ることを決断

先ほどお伝えしたように、オーストラリアでダイビングインストラクターをする中で「ダイビングの仕事は体に負荷がかかり、長くは続けられない」思った僕は、「年を重ねても長く続けれる仕事をしよう」と思い、1度日本に戻ることを決めます。

この日本への帰国は、自分だけの将来を考えたことだけではなく、もう一人の僕のパートナーのことも考えての帰国でした。

今まで触れてきませんでしたが、実は僕は20歳の頃から付き合っていたルーマニア人の彼女と26歳の時に1回目の結婚をしています。

ただ、結婚をしながらも奥さんは日本で仕事をし、僕は海外で仕事をするという日々を続けていたのです。

僕は、彼女と海外で一緒に生活をしたいと思っていたのですが、ルーマニア人で日本で仕事をしたい奥さんの気持ちと、日本人で海外で仕事をしたい僕の気持ち、この2つを尊重して、離れた結婚生活を選択していたのです。

ただ、僕も30歳を前に、彼女とのことも考えて日本に戻ろうと思ったのでした。

この後のストーリーで触れないので一応お伝えしておくと、最初の奥さんとは35歳の時に「結婚という形をお互いのために終わりにする」と決め、離婚します。

その後、今の奥さんと結婚し、現在のように2児のパパになりました。

結婚話で時系列が少し先へ飛びましたが、次のアウトローストーリ第5章は、日本に戻った29歳の話からはじまります。

【終わりに】年齢と共に意識は変化すれども、自分の心を押し殺してはいけない!

さて、年齢を重ねると自分が置かれる環境も変わり、自分の事だけ考えていてはいけない状況というものが生まれれてくると思います。

その気持ちは、今回のストーリーで紹介したように僕も経験しているので、痛いくらいわかります。

ただ、自分の心に従うアウトローの道を選び、現在コーチとなった僕からあなたに1つお伝えしたいことがあります。

それは「自分の心を押し殺していてはいつか破たんする」ということです。

最近のニュースを見ていても、事件を起こすのは「真面目なサラリーマン」だったりしますよね。

21世紀の今、時代は「我慢」や「常識」を優先することから、「自分の心」や「自己愛」や「家族愛」を優先する時代に移行してきています。

これは、自分勝手にわがままにしていいという意味ではなく、「1番自分の心が求めてるものを追求する」ということです。

さて、次のアウトローストーリー第5章では、僕の「アウトロー人生」のうち、あれこれ仕事を変えていた僕が、「不動産業」という一つの分野で長年の夢だった「海外で活躍する」という想いを叶えた30代のストーリーを紹介します。

詳しくは次のストーリーの中でお話ししますが、最初から何をどうしたらいいか分かってスタートさせたわけではありません。

何をしたらいいか分からない状態でもあることをしていくと結果が出るのです。

ぜひ、アウトローストーリー第5章でそれが何かを確認していただければと思います。

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苫米地式コーチング 認定コーチ 坂上崇大(さかのうえ たかひろ)

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