1996年20歳。全てを捨て単身アメリカへ。日本人という意識からの離脱【アウトローストーリー第3章】

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こんにちは、苫米地式コーチング認定コーチの坂上崇大(さかのうえ たかひろ)です。

こちらのページは、僕の「アウトロー人生」を紹介するストーリーの第3章です。アウトローストーリーの一覧はこちらからご覧になれます。

アウトローストリー第2章でお伝えした通り、不良の「チーマー」を卒業した19歳の僕は、アメリカ行きを目指します。

そして、20歳でアメリカに渡った僕は、それまで持っていた「日本人」と言う感覚からもっと大きな認識ができるようになります。

さらに「日本では自分は輝けない」と思っていた自分は大きな勘違いだと思い知るのです。

さて、コーチが持つバックグラウンドは、あなたがコーチを選ぶうえで大事な要素になります。

ストーリーを読み進める中で、あなたにとって僕が選ぶべきコーチかどうかじっくり観察してください。観察方法は、コーチの選び方の中で紹介しています。

元不良の僕がアメリカ行きを目指した理由

アウトローストーリー第2章でお伝えした通り、不良の「チーマー」を卒業した19歳の僕は、「日本にいては自分は輝けない!」「日本を出たい!」そう思うようになります。

今は「海外」と言えば人それぞれにいろんな国をイメージすると思いますが、僕が窮屈な日本を抜け出したいと考えはじめた19歳の頃(1995年)は「海外=アメリカ」という感じでした。

もちろん神奈川県の厚木という土地柄もあったと思いますが、10代の頃から僕の周りにあったカルチャーは、アメリカナイズされ、ハリウッド映画やヒップホップが流行り、海外と言えばアメリカみたいな時代だったのです。

なので、19歳の頃に「日本を出たい」「海外で活躍したい」と考えた僕は、自然と「アメリカ」を意識するようになったのでした。

アメリカへ行くチャンスを求め新たな決意

「アメリカ」に照準を絞った僕は「どうやったらアメリカに行けるのか」をいろいろと考えるようになり、アメリカにつながるチャンスを毎日探していました。

そんなある日、たまたま読んだ雑誌から、アメリカの大学「ヒューロン大学(Huron University)」の東京キャンパスが下落合にあることを知ります(現在は東京キャンパスはありません)。

今思えば安易ですが、この時の僕は「アメリカの大学に入れば、アメリカに行くチャンスにつながってるはず!」と思い、ヒューロン大学の東京キャンパスに入ることを決めます。

ちなみに、高校時代はチーマー業に夢中で学校に行っていなかった僕でしたが、高校は名前だけ卒業した状態でした。

そんな状況だったので、「ここでなら、改めて勉強したい」と思えたのも、ヒューロン大学に行こうと思ったもうひとつの理由でした。

ちっとも上達しない英語。アメリカが遠く感じ、しびれを切らす

さて、ヒューロン大学には親に学費を援助してもらって入学をするのですが、英語が第二外国語の僕は、「ESL」という英語を母語としない学生が英語力を補強するための科目を履修することになります。

ESLを履修することで、新しい仲間との出会いがあったりと、楽しいことは楽しい毎日だったのですが、大学側が求めるまでの英語力がなかなか身につかず、語学力が伸び悩んだまま1年が経ってしまいます。

勉強は嫌いではなかったのですが、ヒューロン大学に入ったメインの理由が「アメリカに行く足がかり」だったので、1年が経ったある日、僕はとうとう自分の状況にしびれを切らします。

「文法を勉強するために入ったんじゃない!アメリカに行きたいんだ!」

この想いが爆発し「自分でお金を稼いでアメリカに行こう」と方向転換することを決め、1年の休学を決めます。

もう少しこの時の僕の気持ちを書き添えておくなら、親に学費を援助してもらいながら、1年も変化がなく進歩しない自分が嫌でしたし、アメリカへ行くチャンスが見えてこない状況もなんだか中途半端に感じて嫌だったのです。

20歳で遂にアメリカへ。アメリカで感じた解放感

さて、休学を決めてから半年ほどで目標金額の60万円が貯まります。

資金を手にした僕は、2度と日本の土を踏まないつもりで、家にあった物を全て売り払い、パスポートを握りしめてアメリカのロサンゼルスに旅立ちます。

ロサンゼルス国際空港(LAX)についた時のことは今でも忘れられません。

空港から一歩外に足を踏み出た時、本当に自分が解放されたような、自分の居場所に帰ってきたよう感覚を覚えたのを今でもありありと思いだします。

当時の僕は日本で、いろいろと不自由さを感じていたので、空港に降り立ったあの日、これから本当の「自由」が始まると心が高揚して、何とも言えない嬉しさに満たされたのでした。

アメリカで確信に変わった「自分じゃなくて周りがおかしい」と言う感覚

アメリカに渡る前、僕の中には「周りがおかしい」という感覚がありました。

日本にいるときは、「これが正しい」「こうするのが当たり前」というように、「社会の常識」や「前例」を押し付けられ、挫折感に近いもどかしさを感じると同時に「全てが当たり前だと鵜呑みにするのはおかしい」と感じていたのです。

そんな想いを抱えながら、実際にアメリカで生活をしていくと、僕が今まで思っていた「周りの方がおかしい」という感覚が本当は正しいんだと確信に変わっていきました。

なぜなら、国や文化が変われば、日本で言われていた社会の常識や前例と言うのは、意味をなさなくなったり、反対に日本人が意識していないことが海外では重要だったりするからです。

要は、人間として「人にやさしくする」というような本質的な部分は全世界共通で必要なことだけど、地域や文化によって変わってしまう「正しさ」や「常識」は、あまり意味をなさないと確信できたのでした。

意識のシフト「日本人」から「地球で生きているひとりの人間」へ

アメリカで生活することで僕の中でもう一つ大きな変化がありました。

それは「地球で生きているひとり」という感覚が生まれたことです。

当たり前のことですが、アメリカにはいろんな国からいろんな人種の人が集まります。

そのいろいろな人種や文化が集まった環境の中で過ごすうちに、「日本人」と言う感覚はどうでもいいものに変わり、「地球」というものを強く意識するようになったのです。

この「地球で生きているひとり」と言う感覚が僕の中に生まれた時に、これまで僕の中にあった「日本では輝けない」というビリーフ(信念)が書き換わり、「日本にいようがどこにいようが地球で生きているひとりなんだ。自分はそういうつもりでどこにいても活躍していくぞ」と思うようになったのです。

それまでの僕にあった「日本だから」という条件は、もう関係のないことになった瞬間でした。

アメリカで抱いたこの時の「地球で生きているひとり」と言う感覚は、今も変わらず持ち続けていて、もはや僕自身の人格にもなっているともいえます。

「必要に迫られる」ことの重要性

アメリカで生活することで、実際に体験した「必要に迫られこと」の重要性についても少しお話ししておきましょう。

日本で「ESL」を履修していたときは、1年たっても英語力がアップしないという状況でしたが、アメリカに行ってからはものすごいスピードで英語が身についていきました。

日本で経験した1年のくすぶり感とアメリカで経験した短期間での習得率の落差から、やはり「必要に迫られる」ことは、ものすごい学習効果を上げるものだと確信したのでした。

何かに伸び悩んだ時は、「必要に迫られる」という状況に身を置くのも重要なことです。

不法滞在か帰国か

さて、日本に帰らないつもりでアメリカに行った僕でしたが、アメリカでの生活は3ヵ月で終わりを迎えます。

3ヵ月以上アメリカにいるためには、やはりどうしてもビザが必要だったのです。

アメリカには不法滞在者もいるので、そういう方法もあるとも思いましたが、不法滞在をしてしまうとアメリカにいることはできてもアメリカから出られない。

この頃の僕は、アメリカもいいけど世界を知りたいと少し思いはじめていたので、アメリカに縛られるのも本望じゃないと考え、いったん日本に帰ります。

日本に戻ってからのストーリーはアウトローストーリー第4章で紹介しています。

【終わりに】環境は成功できな理由にならない

アメリカで生活する前の僕は、「日本では輝けない」と環境が自分を邪魔するものだと認識していました。

ですが、それは僕自身が自分を小さくとらえて、周りの環境を言い訳にしていただけだったのです。

人は、意識が変わるだけで、どんな環境にいようと輝けます。

もちろん、環境を変えることでより簡単に成功しやすくなったりすることもあります。

でも、どんなに悪条件だと感じても、それはあなたがそう思い込んでるだけなのです。

あなたが「マインド(脳と心)」の使い方さえ、変えてしまえばこの世界はがらりと変わり、すべてがチャンスになっていくのです。

さて、次のアウトローストーリー第4章では、日本とアメリカを行き来しながら自分探しをしていたころの20代前半から、30代を目前に仕事に対する意識が変わり思い悩んだ29歳までのストーリーを紹介していきます。

コーチが持つバックグラウンドもあなたがコーチを選ぶときに重要な要素です。ぜひ読み進めて判断していただければと思います。

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苫米地式コーチング 認定コーチ 坂上崇大(さかのうえ たかひろ)

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